Lv.1
ふと、藤田(旧姓西野)先生が夢に出てきた。
夢の内容はまぁ平凡なあのころの日常みたいな感じだったんだけども。

小中学時代は勉強以外にもいろんなことを先生に教えてもらいながらすごしたけど、西野先生が俺に言った言葉の中で一番深い意味を残した言葉は「今勉強してないと後悔するときが必ず来る」という言葉だった。

多分勉強が一番嫌いだったあのころ。中学生らしく反抗期むき出しにわざと親や先生へ嫌がらせのように露骨に勉強をしなかった。

嫌いだった理由の中で多分一番大きかったのはやっぱり順位を付けられることだった。
知ってのとおり地元では人数の少なさ故、友達同士の結びつきが強いんだけども、中学に入るやいなや友達とその能力を競わされ、順位を付けられるということに強い抵抗を感じてた。順位を付けられるせいで、誰かに負けまいと勉強しなくてはいけないし、そんな理由で勉強をするというのにもどうしても馴染めなかった。順位を付けられるからには「あいつより上」「あいつより下」みたいなのは無意識に意識してしまうし。いろいろと複雑な年頃だったしね。

で、そんなこんなで勉強を拒絶していた俺に西野先生が言ったのがその「今勉強してないと後悔するときが必ず来る」という言葉だったんだけども、その後悔するときというのが来たのは高校のころ。西野先生は「今=(中学一年のころ)勉強してないと・・・」と言ったけど、当時はそのことは正直さほど後悔しなかった。それよりも後悔したのは受験を目前に、高校2年生のころ勉強に手を抜いていることを痛感し、出遅れてしまったことにかなり焦ってしまったからだった。「勉強してないと後悔するって先生は言ってたけど、実際にそのときは来てしまったなぁ・・・」と、憂鬱になっておりました。

しかし今考えてみると、やっぱり中学一年のころも勉強してなかったことを後悔してる・・・かも。

少し話しは逸れるけど、地元では中学から高校への進学は、レベル的にははっきり言って上、中、下の3段階くらいにしか分かれておらず、その「上」って言っても脇高なわけで、成績上位の子なら別に今更勉強しなくても余裕で受かるし。あのころずっと「受験受験と先生も親も言うけど、形だけで落ちることなんかないやん。何をそんなに神経質にのっとんのやら。遊ばしてくれよ。」と思っておりました。だいたい先生も親も100%受かる安全パイの高校しか受けさせないわけで。まさにぬるま湯受験。

しかし、そういったぬるま湯受験をくぐり抜けてきた俺にも、そして全国の名門の中学、高校を経てきたエリートたちにも大学受験は平等に訪れるわけですよ。まぁ幼稚園や小学校のころから「お受験」みたいなのをやっているのは少数派かもしれないけど、都会では中学受験というのももう珍しくないだろうし、高校受験だって地元のぬるま湯受験とは比較にならないシビアさなんだろう。つまり、地元と都会では中学、高校の2回、「受験」に関して遅れをとってると言っても過言ではないっぽい。まぁあくまで俺がこっちに来てから思ったことなんだけども。

なので、それだけで受験というものに対する危機感や集中力に差が出るだろうし、もともと俺は集中力はありません。だから、中学一年のころに勉強するという習慣をつけて、受験の厳しさを知ったり、勉強に対する集中力を養っておくべきだと西野先生は言いたかったんではないかなと今となっては思うわけです。

そういえば俺らの一個上の学年と、一個下の学年に、上田君という病院のお坊ちゃんがいたじゃないですか。あの子たち穴中には進学せずに市内かどっかの中学に行ったよね。今となっては、こと勉強に関してはその判断って正しかったんじゃないかなとか思ってしまうのよね。まぁそれ以上に、たとえ息子の将来のためとは言え半生を共にした友達と引き離すのは賛同しかねるけどね。それだったら最初から市内ですんでたらいいやんという話。

で、俺の独断と偏見による地元の受験の実情はおいといて、そんな風に西野先生に一時期心配とご迷惑をかけた俺も一応なんとか大学生になり、無事卒業の見込みも立ち、就職先も決まりました。最近になってようやくリクナビと毎日就職ナビを解約し、200通くらいあった未読メールを一斉に削除しました。

なので、社会人としての生活が軌道に乗って落ち着いてきたら、いつか西野先生含め、お世話になった先生何人かに手紙を書こうと思ってるんよ。先生には心配と迷惑をかけたかもしれませんけども、それなりになんとか社会人になれましたよ。とか、これからようやく社会人として、先生と似た立場に立つことができますよ。とか、やっぱり先生の言ってたこと、正しかったですね。みたいに。

先生としても、卒業したら後は野となれ山となれってわけではなく、それなりにどうなってるか気にしてくれてるんじゃないかなと思うし、就職というのはその一番大きな節目、終着駅だと思うし。別に過剰な演出で涙を誘う、感動の押し売りみたいな手紙ではなく、先生に会わなかったこの数年間、どんな風にすごしてたのか、報告するかのように淡々と。あのころの日記のようにね。あのころから俺は日記を書くのが好きでした。

なんか3年の後半とかほとんどみんな日記出してないのに俺だけ横畠先生に「はい、読んどいて」みたいに手渡しで提出していた記憶が・・・。
まぁそれだけ日記を読んでもらうのが好きだったのだよ。

とまぁ地元の話になると思い出の泉が無限に湧き出てしまうだけに関係のない話までダラダラと話してしまうわけですよ・・・。
困ったもんです。

あ、日付の上ではもう8月30日か。8年前ちょうど俺が技術の宿題で死にそうなほど頭を抱えてた頃か。ハハハハ。
おーい元気か!?8年前の自分。今はどうでもいいことに死ぬほど悩んでるけど、なんとかなってるぞー!!!

こんな風に過去の自分にときどき語りかけたくなるのって俺だけだろうか。
そんな今の俺も数年後の俺にまた何か語りかけられているのだろう。聞こえないけど。
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コメント
この記事へのコメント
あかんな、中学時代のネタを読むと無償にセンチメンタルになる。。。
西野先生は今穴高でおるけん最近全然やけど、それまで三島におったけんアタシしょちゅうあいよったんよ。
ほんで、逢ったらその時にアタシがペラペラと喋るんやけど。
例えば「最近fdsとようメールしよんよ~」とか「ほそまつとこの前電話で話したんよ~」とかね。
誰の名前を出しても西野先生は「今なんしよん?元気しよん?」って聞いてきてた◎
おてがみすっごく喜ぶと思う。

教師ってさ、1年間に何人もの子供と向き合って話するのに、何であんなに覚えてるんやろうな。
当たり前なんかも知れんけど、アタシすごいと思うわ。

西野先生が学校変わる時の挨拶するとき、体育館の壇上で号泣してたことが今もすっごく記憶に残ってる。

あたしら愛されてたよねw
2006/08/30(水) 15:56 | URL | ちっぷ #-[ 編集]
壇上で泣いてる先生を見たらもう泣かずにはおれんかったなぁ。

なんつーか、生徒から見た先生はたった一人やけど、先生から見た生徒って20分の1やと思うてたんよね。だからせめて限りなく大きな20分の1になりたかったみたいなのはあったかも。自己顕示欲というのもあるけど、先生に認めてもらいたかったんだろうなぁ・・・。
なんだかんだで中学のころは一番痛かった時期です。
2006/08/30(水) 22:36 | URL | fds #-[ 編集]
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